K's Backyard

オーストラリアの田舎町での動物とのふれあい日記

Daisy-the-Dog (23 June 2007 - 16 November 2021)

去年の暮れに二年半ぶりにブログを再開したものの、今日までまたお休みしてました。12月に入って二年ぶりに日本へ帰国して、正月が終わってすぐにこちらに帰ってきました。日本へ帰ってすぐ、東京のホテルで6日間の強制隔離をしてから、公共交通機関が使えなかったので、レンタカーで東名高速道路に乗って200キロ離れた静岡の両親の家へ行きました。そんなことしたことなかったので、ドキドキだったけれど、オーストラリアで200キロ以上の距離を運転したことが何度もあったので、意外と簡単でした。

ブログをサボっていた間、2019年の後半は大干ばつの水不足で野鳥や草木に大きな影響が出ました。また、2020年から始まったコロナで、人間の生活様式ががらっと変わってしまいました。それでも、最近では新しい変種株のオミクロンが騒がれていますが、ほとんどの人がワクチンを二回接種し、今3回目も打ち始めたので、トンネルの向こうに希望の光が差してきた気がします。

我が家の庭には二年前と変わらずいろいろな野鳥たちが訪れています。大きく変わったのことといえば、去年の11月16日に愛犬デイジー (Daisy=小菊)が14歳と5ヶ月で天国へ旅立ったことです。

f:id:Wattlebird:20220124164252j:plain

若き日のデイジー

f:id:Wattlebird:20220124164434j:plain

日向ぼっこするデイジー

f:id:Wattlebird:20220124145649j:plain

ボール遊び大好き

ずっと二年ぐらいはリュウマチが出て薬を飲んでいましたが、歩くのが遅くなっていき、お散歩も毎日1時間ぐらいは平気で歩けたのが、亡くなる前の一年ぐらいは30分になり、最後の二ヶ月ぐらいは10-15分とだんだん短くなって行きました。また、最後の一年間は棘のような実をつける草の上や、ごつごつした地面の上を歩くのを嫌がるようになり、毎日街へ車で連れて行って、コンクリートやアスファルトの上で散歩するようになりました。それがとてもお気に入りで、散歩以外の用で車に乗っても必ず自分も行くんだと、どこにいても車に近寄って来るようになりました。大好きなボール遊びでも昔の若い時のように、全速力でチーターのように走ってボールを追うことをしなくなりました。人間でいうと百歳に近いおばあちゃんだったから、1日のほとんどは居眠りしていて、コロナになってからは、家でリモートワークをしていた私の足元でよく寝てました。寝ている時は小さい時からいつもそうでしたけど、手や足をピクピクと活発に動かして、まるで夢の中で何かを追っかけているようでした。また、年を取ってからは大きないびきをかくようになり、周りにいた人は大笑いでした。

f:id:Wattlebird:20220124145810j:plain

お昼寝中

f:id:Wattlebird:20220124144124j:plain

車で街へお散歩に

10月の半ばに疲れて散歩もあまりできなくなったので、かかりつけの獣医へ連れて行くと肝臓に炎症があり、またそのすぐ隣に腫瘍が見つかり、心臓も肥大しているということで本当に目の前が真っ暗になりました。心臓は手術は不可能だったし、腫瘍の摘出手術は高齢のため獣医も勧めませんでした。せめて肝臓の炎症を鎮めようと抗生物質を飲ませましたが、薬を嫌がって飲ませるのに毎回苦労しました。それでも回復に向かったと喜んでいた矢先、一ヶ月後食べ物を全く食べなくなって、その5日目に獣医に家に来てもらって安楽死させました。まだ、ふらふらしながらもトイレにも自分で行けて、庭を歩くことができていました。最後まで安楽死がまだ早いのではないかと悩んでいましたが、獣医と親友はそれ以上日を伸ばしてもデイジーが痛い思いをするだけだし、そんな姿を見る飼い主の私も辛い思いするだけなのでと言うので決心がつきました。(ちなみに、獣医は明言はせずあくまでも私の判断にまかせました。)デイジーと一緒に飼っていたティップという犬は六年前に亡くなりましたが、安楽死のタイミングが遅すぎてかわいそうなことをしたので、今回は遅くならないように心に決めていましたが、タイミングを見極めるはとても難しく何度も躊躇しました。

獣医は安楽死の注射の前にまず、麻酔を打って眠らせてから、安楽死の注射を打ちましたので、苦しむこともなく、安らかにいつも寝ていた自分のベッドの上で私たちに囲まれて天国へ旅立ちました。十分ぐらい最後のお別れをしたら、獣医がデイジーの遺体を毛布にくるんで動物病院へ持って行き、火葬場へ引き渡して、後日、その灰が手のひらぐらいの大きさの麻の巾着袋に入れられて戻ってきました。こちらの人はその灰を庭に撒いて、植物を植えて育てるようで、箱には「ワスレナグサ (Forget-Me-Not)」の花のタネが添えられていました。(私が選んだ方法の他に、他のペットと一緒に合同で火葬してもらう方法と自分の家の敷地内に埋葬するという方法がありますが、火葬の場合にはそれぞれに応じた料金がかかります。)

f:id:Wattlebird:20220124151403j:plain

デイジーの灰が入れられた箱

f:id:Wattlebird:20220124151625j:plain

デイジーの灰が入れられた巾着袋

デイジーの灰が戻ってきてから、一週間してから十年以上もお世話になっていた獣医のチームからカードが届きました。デイジーの病気を治してあげられなかったことを残念に思うということや私に対し心温まる励ましの言葉が手書きで書かれていました。とても心が癒されました。この動物病院はデイジーが亡くなってから、余ったデイジーの薬を自分たちで入院した動物のために使うからと、買い取ってくれました。腎臓を患っていたティップのために買ったとても高額な特別な餌も亡くなった時に買い取ってくれました。ペットが病気になると保険がきかないので、医療費が人間以上にかかってしまいます。そんなオーナーを助けるためなのか、獣医さんはとても良心的でした。

13年間もずっと一緒にいて、とても忠実で癒しと笑いと愛情をたくさんくれたデイジー。今でも毎日思い出しています。ペットロスなんて、他人ごとだと思っていましたが、自分もなるとは...

f:id:Wattlebird:20220124154302j:plain

里親探しの団体RSPCAが地元新聞に出した若いデイジーの広告

上の記事は三年ぐらい前にたまたま物置で見つけた古い地元新聞に載っていたもの。RSPCA(Royal Society for the Prevention of Cruelty to Animals)というペットの里親探しの慈善団体が出した2008年3月13日付のデイジーの広告です。2007年6月23日生まれのデイジーは2008年9月23日、ちょうど一歳三ヶ月の時にRSPCAから引き取りました。その前に別の2件の家にいったん引き取られていったけれど、脱走して飼い主を手こずらせたのでRSPCAに返されたようです。我が家にきてからも若い時には何度か脱走しましたが、大人になったらしなくなりました。デイジーは記事に書かれた通りのとてもやさしくておだやかな性格の犬で、誰にでも好かれていました。(年をとってからは残念ながら書いてあるように他の犬と仲良くできませんでしたが...)RSPCAの人の話だと、生まれてすぐの子犬の時に他4匹の兄弟犬と一緒に箱に入れられて牛や羊のセリをする会場に捨てられていたのを保護されたそうです。真冬の寒さでデイジーと男の兄弟犬が生き残って、他の3匹は残念ながら死んでしまったそうです。とにかく誰でも人がとても好きで、いつも尻尾を振ってそばに行きました。雷をとても怖がり、雷が鳴ると震えて人間のそばに来て、離れませんでした。オーストラリア・ケルピーという牧羊犬の雑種で、ものすごく活発で運動が必要な犬だったから、毎日ボール遊びや散歩をさせないといけないワンコでした。いつも私の一歩先を歩いてガードしてくれたり、外出した時は必ず門のところで待っているとっても忠実なかわいい犬でした。

デイジーが亡くなった時、家の周りや野原に白い野生のデイジーの花がいっぱい咲いていました。

f:id:Wattlebird:20220126062824j:plain